![]() 龍潭池から望む首里城(2011年撮影) |
まだ記憶に新しい2019年10月、首里城は原因不明の火災が発生。正殿など全焼6棟に加え、奉神門と女官居室の2棟を部分焼。首里城を心の拠り所としていた那覇の方々をはじめ、世界中に大きなショックを与えました。
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現在首里城は再建に向けてどんどん進んでいます。首里城正殿にあった遺構を公開、奉神門での「御開門」の儀式が復活、正月恒例の「新春の宴」も開催され、ライトアップも復活しました。首里城祭りも規模を縮小するものの開催。コロナで伝統芸能など一部が休止中ですが、一歩一歩前に進んでいます。
初めての沖縄、本格的なお一人様旅のはじまり
(*2011年の回想記録です。現在正殿等は消失したため、有りません)
就職・結婚・子育て・義母の介護に時を過ごして気がつくと人生折返し地点。
これまでプチお一人様はチョコチョコ出かけていましたが、
これからの誕生日は、行きたいところ・観たいもの・食べたいもの・体験するもの全て自分の心のままに過ごす❣
2011年。10年前程前です。
家族に一大決心を宣言を発表。
家族は温かく応援してくれました。
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2月21日 JAL903便東京羽田 8:15発 → 沖縄那覇 11:05着
富士山って上から見るとこうだったのね。綺麗〜。
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那覇空港に到着
那覇の空の広い事!!見事な青空です。
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ホテルに荷物を置いて、首里城まではバスで移動。
地元の路線バスを利用するのも、ひとり旅の楽しみ。
バスの高い座席から、街並みを眺めるのは楽しい。
那覇バスターミナルから首里城入り口までは、およそ30分。
首里城まで那覇の町を5分程ブラブラと堪能。バス停の赤レンガ屋根も、
『嗚呼沖縄~~♪』
5分の距離でも、白タクから3回声を掛けられる。勿論キッパリ【NO!】
女ひとり旅は、こう言う事も注意しないとね。
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首里城にワクワク初登城
守礼門
第二尚氏王朝の時代、中国からの冊封使が琉球に来た際には、国王以下の高官らが守礼門まで出迎え三跪九叩頭の礼をとっていた。沖縄戦で焼失したが、1958年に再建され、1972年には沖縄県指定有形文化財となった。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
屋根の反りかえりが、いかにも大陸文化が香りますよね。
今、さっぱり見かけなくなりましたが・・これ、知らない人も多いかも。2000年7月19日に発行された紙幣。2千円札の図柄になってましたよね。
首里城登城
歓会門
守礼門を抜け、園比屋武御嶽から緩やかな坂を上っていくと
首里城の正門である歓会門に。
第二尚氏統第3代尚真王の時に造られたと言われ、
第二次世界大戦で焼失してしまったものを1974年に復元されました。
歓会門では、門の左右に立派なシーサーが守りを固めています。
ここから石畳が変わり、いよいよ王宮への一歩と言う感じ。
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瑞泉門と漏刻門
修復の最中の瑞泉門 左奥に漏刻門(2011年撮影)
ゆるい階段を上がっていくと少し急になり、右脇の少し下がった所に綺麗な水が龍の口から流れ出る湧き水があります。
1470年頃の創建といわれ、門の手前にある「龍樋」にちなんで、別名「樋川御門(ふぃじゃーうじょう)」ともいいます。
冊封使や国王などの飲料水として使われていたそうで、その先にある首里城二番目の門である瑞泉門の名前の由来です。
途切れた石垣に桁を架した木造櫓門の構造。1933年に国宝に指定されましたが、沖縄戦で焼失。
1992年に復元されました。
瑞泉門から階段を登っていくとすぐにあります。
櫓の中に水時計が設置されていて時間を計っていた事からこの名で呼ばれているようです。
ここまで籠で登ってきた役人なども、国王に敬意を表してここで籠を降りて徒歩で登城したと言われています。
ここからの景色が格別。
琉球のグスク(城)の城壁の曲線が見事です。
広福門
有料公開の首里城内に入るための発券はここで。
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首里森御嶽(すいむいうたき)
広福門を入ると突き当たり奥の位置に、とても小さな木の茂みがその周囲を石積みの塀で囲まれています。
首里森(すいむい)とは、首里城の別称で、この御嶽は首里城内で最も格式の高い拝所のと言われています。
「琉球開びゃく神話」によると、神が造られた聖地であるとされています。
国王のみ入る事が許されて、祈りを捧げていたとの事です。
奉神門
いったい幾つの門をくぐればイイの?
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ここで広福門で購入したチケットを見せます。
やっとアチラコチラのメディアで見ていた首里城が姿を見せてくれました。
チケットモギリはこちらのお役人さまではなく、^^職員のおばちゃんが待ち構えています。
首里城御庭から正殿へ
奉神門を抜けると、やっと観光パンフレット等でおなじみの紅白に彩られたお庭です。
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南殿手前の番所から南殿に向かう順路。
入口で靴を脱いでビニール袋に入れて進みます。
番所はその名のとおり受付の役割をしていた場所。
南殿は和式の儀式が執り行われていた場所。(現在は簡単な展示場)
書院・鎖之間
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2月と言えど、幾つもの階段、幾つもの門を乗り越えるのは結構キツイ。
心地よく風が吹き抜ける、鎖之間では、沖縄銘菓とお茶を頂きながら、(300円でした)
琉球レディーが首里城の歴史を簡単にお話してくださいます。
足にも、喉にも、耳にも、目にも、心にも、有難い鎖之間です。
2007年に復元整備された書院と鎖之間。
書院は国王が日常政務を行った部屋で、冊封使や薩摩の役人の接客などに利用されました。
賓客をもてなすお庭の岩は珊瑚
薩摩の役人好みに、日本式に造られたとか。
玉座
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2021年現在は、誠に残念ながら2019年の火災により同じ建築物は有りません。
記録として残せたら幸いです。
現在の様子は、下記でごらんください。