大江戸温泉物語に初挑戦
今年2021年9月5日に幕を閉じると聞いて、大江戸温泉物語に慌てて行って参りました。
東京に住む私は、行きたくなればいつでも行けると思っていたんです。
ですから、閉店間際の駆け込み入浴ってな感じですね。
大江戸と冠に付けた温泉ですし、お台場の江戸時代の歴史に想いを馳せながら
プチ旅を楽しんで参りました。
店構えはナンチャッテ大名屋敷ふうww
白壁に囲まれ、1m幅位の水堀も少々作られていました。
平城・川越城の玄関のような、大名屋敷のような・・・
何とも歴史好きには、笑えちゃう中途半端加減です。
図々しくも、ナンチャッテ三つ葉葵の御紋付き
凄い肝っ玉ですね。徳川家ゆかりを主張しますかww
入場でキーを受け取る【帳場】
最初に割引券や提携クレジットカードを持っていれば提示して(ほぼ半額)
入場(入浴)基本料金を決めます。
通常料金
ロッカー&お財布キー
館内の飲食やアトラクションはこのキーのバーコードをかざし、
退館時に清算するしくみ
浴衣を選ぶ【越後屋】
浴衣の柄を選び、番号とサイズを申請
帯はカウンターに置いてある赤・黄・青・黒から自分で選ぶ。
縁日体験【広小路】
カップル・家族連れには嬉しいエリア
温泉で日頃の疲れを癒したい私はスルーです。
足湯エリア
「和傘ART GARDEN(アートガーデン)」
足湯庭園を140本以上の和傘で彩る、幻想的なライトアップを開催中
お時間に余裕のある方は、ライトアップがオススメとの事。
「カブトムシの森」
夏休みのお子様向けにも、気配りが感じられます。
昆虫が苦手なので近づきませんでしたケド
■開催日:2021年7月1日(木)~9月5日(日)
食事(ランチ)
フードコートで、軽食からガッツリまでメニューが豊富。銀だこやスイーツまで色々選べる。
賑わうフードコートの苦手な、落ち着いて食事を摂りたいという方は
手づくり豆富と旬彩和食 川長がオススメ
海鮮ちらし御前 1,780円
静かな掘りごたつ式のテーブルで、ゆっくりと食事が出来ました。
コロナウイルス蔓延措置でアルコールが無しなのが寂しいけど。。
温泉【浴場】
赤富士を眺めながら、褐色と言うより金色のお湯にのんびり。
ジェットバスで凝りをほぐし、露天風呂も最高!
と言いたい所ですが・・・
はしゃぐちびっ子ちゃんに遭遇してしまい、
彼女が近づくと、悟られないように距離を取っていたのが現実。
結構気を使い疲れたぁ・・・
リラックスフロア(2F)
女性専用ルーム有り
各リクライニングチェアにTVモニターが設置してある。 1Fの喧騒から離れて、温泉で解した身体をここで ゆっくりと横たえると、自然と睡眠に入って行く。 小一時間程お昼寝出来た。
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フロアマップ
①受付更衣室エリア【帳場】【越後屋】⇒浴衣に着替える
②江戸町エリア【広小路】⇒縁日体験
③江戸町エリア【八百八町】⇒食事
④足湯庭園【足湯】⇒小鳥のさえずりを聞きながらのんびり足湯
⑤浴場エリア【湯屋】⇒金色の温泉とヒノキのツボ湯
⑥休憩スペース【お休み処】⇒リクライニングシートでお昼寝(女性専用有り)
⓻大広間エリア【中村座】⇒宴会スペース
⑧宿泊エリア【伊勢屋】
お会計は再び帳場で
手首に嵌めていたバーコードキーを返し、会計を済ませる。
館内での買い物、飲食、そして入館料の全ての合計をここで清算。
4,000円以内で、温泉に入ってお昼寝付きで半日ノンビリ。
最近はスーパー銭湯が充実しているせいか
コスパに関しては、少しお高めに感じた。
ただ、お財布を持ち歩かなくて良いのはとても良い。
大昔クラブメッドで、お金代わりのビーズをブレスレットに使ったのを思い出した。
アクセス
行きは、久々のゆりかもめ乗車「テレコムセンター駅」下車徒歩2分
品川ソニー本社脇ーお台場温泉物語 無料送迎バスを利用
大江戸温泉物語があるお台場ってこんな所
オリンピック聖火台
まもなく閉会式を迎えるオリンピックです。
その聖火台もお台場の【夢の大橋】に移されていました。
大会組織委員会は、密を避けるために観覧自粛を呼びかけている。聖火台はオリンピック期間の2021年7月24日から8月8日(日・祝)まで、パラリンピック期間の8月25日(水)から9月5日(日)まで点灯される
お台場の歴史
お台場大江戸温泉物語が開業したのは2003年との事。
もう18年も経ちましたかね・・・
初めてお台場に行ったのは、1995年、当時小学生の我が子の夏休みでした。
開通したばかりの新交通ゆりかもめ【通称ゆりかもめ】に乗せて
【船の科学館】で夏休みの丸1日を過ごしたのでした。
その頃のお台場は何もかもが開発途中で、殆どが更地に成ったばかりの状態で
こんな所が人が集う所になるのだろうか。。と思いましたよ。
1993年開発途中のお台場ー東京アルバムより
江戸時代のお台場は
数百年前は品川沖とよばれる海。四方を海に囲まれた日本では物資を輸送する手段は水運。品川沖には大型の貨物船が停泊し、小型の船に荷を積みかえて川を利用し1万人都市江戸に運ばれていた。「海苔」の原料となる海藻の産地としても有名だった。広重「品川汐干狩之図」品川は江戸時代潮干狩りの名所であった。
お台場という地名の由来
ウィキペディアより
1853年(嘉永6年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求を迫る。これに脅威を感じた幕府は、江戸の直接防衛のために海防の建議書を提出した伊豆韮山代官の江川英龍に命じて、洋式の海上砲台を建設させた。品川沖に11基ないし12基の台場を一定の間隔で築造する計画であった。工事は急ピッチで進められ、およそ8か月の工期で1854年にペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部は完成し、品川台場(品海砲台)と呼ばれた。お台場という呼び方は、幕府に敬意を払って台場に「御」をつけ、御台場と称したことが由来である
砲台跡
砲台幸い一度も使う事無く開国しました。現在は埋め立てられて陸続きになったり、姿を残している台場もあります。
こうして、行く先々で土地の歴史に想いを馳せるのは楽しいです。
また古地図を持ってブラブラ行ってみようかな。